鍋の煮える日

鍋の向こうの電話機

鍋の煮える日

 

 家じゅうでたくさんの鍋が煮えくりかえっていた。こっちの蓋を開けると湯がぐつぐつと沸きかえり、あっちの蓋をとると中ですっぽんが煮えている。そんなぐあいだった。
 家じゅうでぐつぐつゴトゴトと音をたて、とにかく鍋が煮えている。しんちゅうの蓋の間から白菜がはみ出たのもあり、土鍋の蓋から湯気がボーッと吹き出ているのもあった。
 私はアチチ、アチチと言いながら鍋の蓋を取ってまわった。まだ充分に煮えてないのもあるのでそれは様子を見るだけにし、煮え過ぎているのは蓋をずらして置いた。
 そのとき私はどういうわけか厚いふかふかのセーターを着て、首にマフラーを巻いていた。全身汗だくになり、私は部屋を走り廻っていた。
 と、どこかで電話のベルが鳴った。
 ぐつぐつ煮え立った鍋の向こうで鳴っている。私は思わず受話器に手を伸ばし、焼けた鍋に触れて飛び上がった。腕をぶるぶる振っていると、横で、また別のベルが鳴る。振り向くと、またまた別の方角でベルが鳴った。
 気がつけば鍋という鍋の向こう側に、みな一台づつ電話があり、それぞれのベルが勝手に鳴っている。私は耳を押さえ「うるさいうるさい」と叫びつつ外に飛び出した。

 

 外に出ると道の向こうにビルがあり、ビルの壁面に巨大な布の垂れ幕が下がっていた。白い布地の中央に、墨で何か字が書いてある。でも何という字か判らなかった。
 自分の知っている字らしいのだが、何と読むのか思い出せない。
 私は自分の頭が悪くなったのを感じた。

 

 明るい日差しの中で、垂れ幕は風にハタハタ揺れている。
 私は体じゅうにびっしょり汗をかいたまま、いつまでもそれを見上げていた。

デパートと垂れ幕

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