密航者

密航者

密航者

 
 こんな夢を見た。
 私は、船に続く細く長い渡し板の上を歩いていた。あたりはとても暗く、真夜中のようだった。
 渡し板は不安定で、一歩踏み出すたびに大きく上下にしなった。周囲に人影は無く、船と岸壁の間で満ち引きする波音だけが繰り返し聞こえていた。
 渡し板を半分ほど渡り終えたところで、その先に船のデッキに続く小さなゲートがあるのが見えてきた。私は注意深く板を渡り、その腰ほどの高さのゲートを乗り越え、たぶん誰にも見られずデッキに侵入した。
 デッキの狭い通路を歩いてゆくと、通路の中ほどに、小型犬くらいの大きさのネズミがうずくまっているのが見えた。
「そんなに生きたいか?」
 そのネズミがしゃべったように思えた。
 私はまわりを見回した。
「そんなに生きたいのか?」
 やはりネズミがしゃべったらしい。
「生きたいさ。お前は?」
 と、私はネズミに問い返した。
「オレは目の前に食い物があれば満足だ」
「無ければ?」
 と私は問うた。
「無ければ探すさ」とヤツは答えた。
 私は、どうにもこの会話が不毛なものに思えた。しょせんネズミだ、たいした考えも無かろう、そう思ってまた歩きだした。
「後悔するなよ」
 私の背中に向かい、ネズミが言うのが聞こえた。
「後悔なんかするもんか」
 私はそう、自分に言い聞かせた。
 
「船長大変です。巨大なタコが」
 ひとりの若い船員が、息せき切って部屋に入ってきた。
 私は六分儀を手に、人生について考えていたところだった。船員に『船長』と呼びかけられて、私ははじめて自分のいる部屋がそれらしい場所であることに気がついた。
 船に忍び込んでから、私は船の中をあちこち見て周り、鍵のかかっていない場所を探したのだった。そして、好都合な部屋を見つけた。そこにはベッドは無かったが大きなソファーがあり、海図や磁石や、六分儀などが机に置いてあった。
 私はそれから、ソファーに横になって少し眠った。
 起きてみると、船は出航したようだった。窓から見ると、すでに陸地が見えなかった。
 部屋の中には、パンや保存用の乾し肉や高級な酒があり、私はそれらを食べ、飲み、この先の時間の過ごしかたを考えていた。服も汚れていたので部屋にあったものに着替え、髪もとかした。そのせいで、私は、見た目ではその場にふさわしい人間に見えたのだろう。
 船員は子犬のような目で私を見ていた。好青年だった。
「タコがどうした?」
 私は極力低い声で彼にそう聞いてみた。低い声が、この場に合っていると思ったからだ。
「巨大なタコです。あんなの見たことありません、船が飲み込まれます、船長」
 彼は震えているようだった。きっと気が動転して、目の前にいる人間が何者なのか判断もつかないのだろう。
「場所は?」
 私は聞いた。
「船首です」
「よろしい。すぐ行く」
 私はさらに低い声でそう告げ、好青年が子供のような安堵の表情を浮かべて去ったのち、さてどうしたものかと考えた。
 それからソファーに戻り、ブランデーをグラスに注いでひと口飲んだ。
 
 甲板に出ると月夜だった。
 巨大なタコはどこにも見えなかったが、そのかわりに甲板全体が銀色に光っているように見えた。
 幾人かの船員が、そこここに呆けたような顔で立っていた。一番手前の背の高い男は、爪を噛みながら何か考えているようだった。
「どうした?」
 私はその男に聞いてみた。
「さかなですよ」
 彼は答えた。
「このさかなが目に入らねえかい?」
 彼の横にいた小柄な男が、続けて私にそう言った。その言葉使いに、私は少し腹が立った。しかしもう一度足元を眺めてみた。
 なるほど、確かに魚だった。おびただしい数の小魚が甲板に敷き詰められている。甲板全体が銀色に見えたのはそのせいだった。
「どこから来たんだこれは?」
 そう聞くと、
「海から」
 と長身の船員が答え、自分自身の答えが面白いのか低く笑った。
「よくあるのか、こんなこと?」
 続けてそう聞くと、彼はぼんやりと私の顔を見て何も答えなかった。愚問だと言わんばかりだった。
「あってたまるかい」
 かわりに、小男の方が吐き捨てるように言った。
「人殺しだ。人殺しが船に忍び込んだんだ。これは、船が沈むしるしだぜ」
 なるほど、と私は思った。
 何か、あまり良い状況ではないらしいのだった。
 
 部屋に戻ると、部屋の中は暗くて何も見えなかったが、食べ物の匂いが漂っていた。焼いたものや、油で炒めたものなど、調理された食べ物の香りだ。それに、何ひとつ音はしなかったが、部屋の中におおぜいの人がいる気配がした。
 突然、部屋の明かりがついた。室内にひしめき合っている人間たちが、いっせいに私に笑顔を向け、大声で唄いはじめた。
 それは何か祝いの歌のようだった。みんなで私に歌を唄ってくれているらしいのだが、声がそろっていないので何の歌か判らない。それぞれ違う曲を唄っているようにも思えた。
 やがて、最後もばらばらに唄い終り「おめでとう船長」「おめでとう」などと口々に叫びつつ、私に酒の入ったカップを押し付けてきた。
 私は、それぞれのカップからひと口づつを飲んだ。どっと笑いがおこった。
「さすが船長だ」などと言っている奴がいる。何がさすがなのか、私には理解できなかった。
「それにしても、五十年たァよく続いたもんだ」
 顔じゅう髭だらけの太った男がそう言い、まわりが不ぞろいにうなづいた。何かが五十年続いているらしかった。
「みんな船長のおかげだ」「そうだ船長のおかげだ」「ありがとう船長」「ありがとう、ありがとう」などと口々に叫んでいる。
 私はこの船に忍び込んだばかりだ。何かが五十年続いているとしても、私には関係ないことに思えた。
「船長おぼえてらっしゃいますか二十年前、あの大ダコと戦った日のことを」若い男がそう私に言い「バカヤロウ船長が忘れるはずねえだろ」と、年かさの男がたしなめている。
「船長は、あの戦いで右手を失ったんだ。忘れるはずもあるめえ。ねえ船長」年かさの男は、私におもねるような目を向けた。
 私は、思わず自分の右手を体の後ろにまわした。そこで掌を一度握り、それからゆっくりと開き、自分に右手があることを確かめた。
「船長、あの時の話をしてください。若いもんが聞きたがってます」
 へそまで届きそうな長い髭の男が私にそう言ってきた。「わかった。話をしよう」
 そう答えるしかなかった。
 室内がどよめき、全員が、さらに私に顔を近づけてきた。おおぜいの男達が顔を寄せてきたので、彼らの口臭が臭った。
 部屋の中には百人近い人間がいるように感じられた。出るときはそんなに広い部屋だと思わなかったが……。
「あれは、三日三晩続いたひどい嵐のあとだった」
 私は語りはじめた。
「そうだそうだ嵐のあとだ」
「ひどい嵐だったぜ」
 口々にそう言う声が聞こえた。私は続けた。
「二十年前だ」
「そうそう二十年前だ」
「二十年かあ」
「そんなになるかあ」
 みなそれぞれに過去を思い出しているようだった。その思い出に浸れないのは私だけらしかった。
「とにかく、私は、あれだ、大ダコに剣を突き刺した」
 そう言い終わるか終わらないかのうちに「いや、イカだった筈だ」そう口を挟んだ奴がいる。
「そうだイカだ」
「そうそうイカだ。船長、なんでタコだなんて言うんです?」
 なんだか訳が判らなかった。
「イカですよ! 船長。俺たちがタコだと思ってたのに、船長があれはイカだったって言ったじゃないですか、後から」
「そうだそうだ、確かに船長がそう言った」
「そうだ、船長がそう言ったんだ」
「その船長が間違うなんて」
「こいつほんとに船長か!」
 あたりがしんとなった。
 みな、疑いの目で私の顔に見入っている。彼らの口臭が耐え難いくらい臭った。私は、軽く咳払いした。
 何か、非常にまずい立場であるらしかった。
 
 あちこちにレースやリボンの飾りの付いた、綺麗な服の貴婦人が、デッキの手すりを背にして立っていた。
 あたりは暗く、空には星がまたたいていた。
 どうやら真夜中らしいのに、その貴婦人は大きな帽子を被り、白い日傘を差していた。
「私がいない間に、レストランを経営していた主人を、あなたが殺したのね?」
 突然、彼女は私に向ってそんなふうに言った。言われると、私は何故かそうかもしれないと思った。
 デッキには、どうやら私たち二人だけのようだった。船の底が波を切って進む音だけが聞こえていた。
「あなたは、あの時主人と争い、パン伸ばし棒で彼を殴った。そしてぐったりしたあの人を、かまどに入れて火をつけた。あの時の争いで、あなたは左目を失明したのね。そのあと、あなたは私の主人に成り済まして五年間ものあいだ、あの店に居座った。調理人たちは、誰もそれに気づかなかった。そうでしょう?」
 言われているうちに、ところどころ話に合致する記憶があるような気がした。
 確かに、私は五年ほどレストランを経営していたような覚えがあった。でも、経営するに至った最初のいきさつが思い出せない。
 また、どこかで激しく人と争った記憶もあるようだった。念のため、左目のあたりを手で触ってみたが、特に怪我の跡があるようではなかった。しかし、彼女の言うとおりなのかもしれなかった。
「そんなことはしていない」
 私は静かに言った。
「ぼくは、人殺しなんかじゃない」
 言いながら、私は婦人に手を伸ばした。
「何をするつもり? 私を殺しても無駄よ」
 彼女はあとずさった。
「ここで私を殺しても、あなたのしたことは消えない。あなたの人生はまがい物よ!」
 その言葉に何故か胸が痛んだ。船が揺れて、婦人の背がデッキの手すりに触れた。
 私は、彼女の体を抱きとめるつもりだった。手が、彼女の肩に届くか届かないかのところで彼女は悲鳴を上げ、私の手をふり払った。
 すると、手すりに接していた背中を基点にして彼女の体がくるりと回転し、足が宙に浮いた。持っていた日傘が空を舞い、彼女は、まっ逆さまに海へ落ちて行った。
「ひやぁー」という、悲しげな悲鳴が聞こえた。
 見下ろすと下は真っ暗で、海面まではずいぶん距離があるように思えた。
 その暗い中を、婦人が頭を下にしてバトミントンのシャトルのように廻りながら落ちて行くのが見えた。彼女に続いて傘と帽子が、ひらひらとその後を追っていた。
 悲鳴は、か細くなりながらいつまでも聞こえ続けていた。
 なんだか、前にもこれと似た体験をしたことがあるような気がした。
 
「このままでは氷山にぶつかります」
 暗い操舵室の中で、頬のこけた、白い制服の航海士が私に報告してきた。
「そうか、ぶつかるのか」
 私は双眼鏡で、遥か彼方の氷山を眺めていた。闇の中に浮かぶ氷山は細長く、針みたいに尖っていた。
「あんなに細いんだったら、避けられるんじゃないのか?」
 私は航海士に聞いた。
「いいえ。この船は、まっすぐあすこに向っております」
「何故だ?」
「船に人殺しが乗ってるからです。あの氷山を避けても、その先に必ず別の氷山が現れます。その氷山を避けても、また別の氷山が現れます。この船は、いつか必ず氷山にぶつかって沈みます」
 嫌なことを言うもんだと思った。
「何とかできないのか?」
 さまざまな計器の前にいる、同じ制服を着た青白い顔の男達が、みな私の顔をちらちらと見ていた。
 誰も答えを持っていないらしかった。やがて、
「人殺しが乗ってるからだ……」
 と、誰か一人が低くつぶやいた。それから沈黙が続いた。
「人殺しが乗ってるからだ……」
 また、誰かがつぶやいた。
「人殺しが乗ってる……」
「そいつは近くにいる……」
「すぐそばにいる……」
 私は双眼鏡でもう一度行く手を眺めた。
 なるほど、細い氷山の右手後方に、それより大きな氷山が並んでいるのが見えた。さらに左手にも、もっと大きな氷山があるようだった。その先にもまた別の氷山だ。
 どうやら船の左右も後ろも、氷山に囲まれているらしかった。私は唇を噛み、そして叫んだ。
「よし判った。エンジン全開」
 計器の灯りに照らされた青白い船員たちの顔が、いっせいにこちらを向いた。
「聞こえんのか、エンジン全開! 全速力だ!」
 私は高く叫んだ。
「ヨウソロ」
 男達が答え、エンジン音が高鳴った。
「進め進め進め。氷山を突き抜けろ」
 やがて、目の前に巨大な塊が近づいてきた。
「進め進め全速力で進めーッ!」
 私は力の限り叫び続けた。
 

甲板の貴婦人

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