坂本君
友人の坂本君はある朝ネクタイを結んでいて
首がどこまでも締まるのに気がついた
ネクタイを引けば引くほど首は細くなり
しまいに
親指と人差指の先でつまめるほどになった
襟の周りは波打ち
ネクタイは膝のあたりまで垂れた
首はまるで引き絞った風船のようで
でも苦しくはなかった
手をゆるめると
ネクタイはするする戻り
元のようになった
結局
どこで手を止めるべきか
判らないのが問題だ
と坂本君は思った
茶の間ではビーチパラソルの下で
女房が等身大の魚に油を塗っていた
「行ってくるよ」
と坂本君が言ったとき
彼女は聞こえた顔をしなかった
街はガラスでできていた
いたるところに紙が貼り付けられ
「そうあるべきじゃない」
とか
「そうではない」
などと書かれていた
「あなたがそう思っているとしたら」
と書かれているのもあった
会社では
みんな頭に書類を乗せて走っていた
自転車に乗っている者もいた
坂本君の持った書類は
自転車にあたって蹴散らされた
部長はすごく長い棒で
坂本君の鞄を押しやった
部屋は暗く、机は長く
部長はいちばん奥にいた
小さな声で部長が何か言ったとき
声はあちこちの壁にあたり
そのたび違う言葉に聞こえた
朝
歯ブラシで歯を磨くとき
坂本君の指はくねくねと前後に曲がった
手に力が入らない
結局
と鏡を見ながら彼は思った
力の入れ方が問題なんだな